Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

2月まとめ

 書くことがないので、2月を雑にまとめる。

 仕事がだるい。はやくやめたいものだ。

 稽古は芳しくない。環境を変えるべきなのか、自分の課題を見つける努力を怠ったのか、よくわからない。

 修行も芳しくない。適当な落書きを40枚ほど描いただけだ。ミァハもいまだに塗ってないし。

 月の後半微妙に鬱気味になってきたので、思い切って何もかも投げ出してみた。心身共に多少は回復したようだ。今月は自分のペースをつかみたい。

 

 観た映画。映画館のカードを作ってから映画をよく観るようになった。そこまで伊藤計劃の真似をするつもりは当初なかったのだが、まぁ流れと欲望に身を任せることにする。といっても今月はわずかに二本を観たにとどまった。オデッセイとガルパンだ。オデッセイはもうブログに感想を書いたので特に何もいうことはない。ガルパンはもう一度ぐらい観たい。キャラクターがみんな大変魅力的である。あと戦車も。わたしはもともと兵器は嫌いなのだが、まぁこのぐらいなら好意的になれるというものだ。ドゥーチェとミカとアリスがかわいいな。

 

 3月、今月は大変そうだ。まず、9日についにハーモニーのBDが出る。待ってた。待ってたよ、このときを。そして26日だったと思うが、コミックス版の1巻もでる。個人的に、トァンは漫画版のほうがかわいいぞ!とっても表情豊かなのだ!可愛い!かわいいぞ!!当然だがミァハもかわいいぞ!!神々しいぞ!かわいいぞ!!すごい、やった!!今月はサイコーだ!!!やった!

 AHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!

 ふぅ・・・。あとはあれだ、たしか、「バットマンVSスーパーマン」も今月ではなかったか?ふふふふ、やれやれ、食費を削らないといかんのぉw

 

 うん、今月はなんだか楽しめそうだ!ジャスティス!!

 

 デップ―の公開早くしてくれ~

意識、心の比喩、他。

 今朝、出勤中に思いついた比喩をここに披露する。

 

 心、あるいはある種の意識は、映画に似ている。脳というスクリーンに映し出される幻影。伊藤計劃はエッセイ「人という物語」において「意識は物語るためにある。」と言った。映画は物語を現出させるためにある、とも言えるだろう。わたしがこの比喩で強調したいことは、心は永続性や実体をもたない、という点だ。スクリーンは物理的実体であり、それが脳に対応する。一方、映画はスクリーンに映る連続した絵だ。物語はそこに実在するがしかし、物語られた世界は「そこ」にはない。心とは事物ではなく、現象である。そしてそれはたやすく消し去ることができる。映画の世界は「ここ」にはない。だが、物語は「ここ」で物語られている。脳はここにある。心はここで生成している。彼の世界は「ここ」にはない。だが、それはたしかに存在する、実在する。その世界は紛れもない本物の世界だ。心とは物語られる虚構だ。だが、それは実在するだろう。映画と同じ水準において。心がある場所と物語のある場所は同じだ。

 

 という物語。心とは物語だ。自らを物語る物語。意識は嘘をつく。意識は「いま、ここ」という認識を、解釈を、クオリアを、幻想を、現実を、紡ぎ出す。その行為そのものが心だ。それが意識だ、それが脳だ。

 それが「わたし」だ。

 

 比喩がメタ構造を備え始めた。「心とは物語だ」という物語を物語る、脳機能、それが、意識、すなわち心・・・?

 

 伊藤計劃は映画をたくさん観たそうだ。意識とは映画であるという比喩は気にいってもらえまいか?

 

 

 

 

 別の話題。御冷ミァハの話。ミァハのカリスマの構造の話。

 

 御冷ミァハの表情はわたしに何かを思わせる。それがなんだったのか、今宵思い至った。いや、そういう解釈もあると思いついた。アルカイックスマイルだ。彼女の微笑みは、慈愛に満ちているようでいて、だが無邪気そうでもあり、あどけなく、それでいてどこかタナトスを、死の衝動をも感じさせ、いや、それよりも深く、ただ虚無を、ただ深い闇を、光を感じずにはいられない。仏像の表情は、いわゆるアルカイックスマイルは、笑っているようで、何も見ていないような、不思議な表情だ。ミァハの相貌(かお)はそれを思い起こさせる。

 新版ハーモニーには伊藤計劃インタビューが収録されている。そこで伊藤計劃はこう述べている。

「僕はイデオローグを書くのが大好きなんですよ。映画「ファイト・クラブ」でいうとタイラー・ダーデンのような(笑)。タイラーが理屈を喋っていてもあんまりおもしろくないので、じゃあ女の子にしてみたらどうだろうか、という発想でできたキャラなんですよ、ミァハは。」 

「僕はまず、理屈が先にある感じです。理屈にそってキャラクターを作り、そのキャラが喋るロジックを魅力的に見せるにはどうしたらいいのかっていうことで話を考えていきます。いかにロジックを話に落とし込むかっていう緩衝材としてキャラクターは存在するわけです。」

「僕が考えるロジックというのは、(中略)切実なロジックです。切実なロジックを、その切実さを残したままキャラクターに喋らせると、なんとかエモーショナルになってもらえるんじゃないだろうか。」

 あえて大胆な表現を許してもらえるならば、御冷ミァハはイデオローグ(イデオロギーの提唱者)でありながらその実、ロジック、つまりイデオロギ―が受肉した存在であったのだ。イデオローグが実はイデオロギーそのものの化身であったという因果を逆転させた在り方で生まれたという興味深い事象がここにある。その点も興味深いがここでより強調したいのは、ミァハはロジックそのもの、つまり概念であり、空虚であったということだ。ロジックであるという在り方が、そのままミァハのアイデンティティーへと昇華されている。切実さという以外のエモーショナルを持たない、というキャラクター性。

 その空虚に、その虚空に、その間隙に、タナトスが、いや、慈愛が、宿る。

 アルカイックスマイルから我々が多くのものを読みだすように、ミァハという虚無から、われわれは望むすべてを、彼女に望むすべてを読みだすのだ。

 あどけなさを、危うさを、少女性を、利発さを、無垢を、女神を、理想を、救世主(メシア)を、御冷ミァハに見出す。虚無ゆえに雄弁。死的であるが故、性的。

 これを奇蹟と呼ぶのは大げさだろうか。それともここまでが、伊藤計劃の、計劃の一部なのだろうか。

 

 ちなみに新版ハーモニーの解説においては、先と同じ箇所をあげて、それが霧恵トァンを造り出したのだ、と述べている。

 もはや蛇足でしかないが、伊藤計劃はきっとトァンのような人なのだろう。だが、きっとトァンが過半であるにしても、間違いなくミァハみたいな人でもあっただろう。たんなるわたしの願望でしかないが、トァン7に対してミァハ3ぐらいではないかと思っている(本当はもっとミァハが多いといいなとも思っている)。伊藤計劃はきっとトァンとミァハでできている。(そしてキアンとで世界を創る。)

 

 

 

 

 

 

 

 

独り言後記。リーダビリティという言葉を私はもっと噛みしめなければいけない。おそらくわたしの文章は読みにくい。あと、このブログはミァハと伊藤計劃ばっかりだな。

俺は出会い厨だ~リアル書店と紙の本への憧憬~

 「俺は出会い厨だ。出会いを求めて旅をしている。」

 というフレーズが、今日、仕事帰りに本屋で道草しているときに降りてきた。

 

 DIO様は若き神学校の生徒だったプッチに囁いた。

 「わたしは出会いを求めて旅をしている。君は引力を信じるか?出会いには意味があることを?」

 サイコパス槙島聖護(まきしましょうご)は言った。

 「紙の本で読みなよ。電子書籍は味気ない。」

 ハーモニーの御冷ミァハは語った。

 「文字は残るから。もしかしたら永遠に近いところまで。」

 「持久力という点では、本が一番頑丈よ。孤独の持久力。」

 

 通販や電子書籍が誕生した今なお、リアル書店と紙の本に価値を認められるとすればそれはいったい何だろうか?

 出会いだ、とわたしは思う。本屋に出かけなければ、今ここで立ち止まらなければおそらく生涯出会うことは無かったであろう書物。(誇大な主語で恐縮だが、)人間は偶然の出来事に意味づけをし、解釈を施す。すべてはただ起こるだけだ、相互の事物に関係などなく、すべてはただ起こりそして過ぎ去ってゆく。そこに意味を付着させるのは人間の抗いがたい執着というものだろう。だが、そんな悟りを真に実感する者は(そうそう)いないだろう。そして、その執着こそが、出合いに意味を見出す。引力を信じる力を与える。カオスの中から運命を掘り起こしてみせる。

 たまたま出会った本に生活を、人格を、行為を、感情を、揺るがされる経験。本屋に出かけるということはそんな出会いを求めるということだ。本の森のなかに、文字情報の深海へ、運命の出会いを探しに行く。

 

 本は好きですか、本屋は好きですか、読書は好きですか。

 わたしは大好きです。

 

 というわけで今夜金欠で買えなくて悔しかった本たち。いずれ買うと決めた。意志とは運命のことだ。運命とはわたしの意志のことだ。

 

 「理不尽な進化」

 「いきものとなまものの哲学」

 「神話論理Ⅰ

 「神話論理Ⅱ」

 「神話論理Ⅲ」

 「神話論理Ⅳ①」

 「神話論理Ⅳ②」

 「数学的経験の哲学」

 

 

たまにはこういうのもよかろう。

面白さの分類と探求~The Indifference Engine を題材に~

 書くだけ書いて、更新の意志がない物たちを供養しておこうと思ったので、連続で過去に書いたものを投稿する。ほぼすべて未完成のままだ。

以下の文の最終更新は2016年2月8日、とある。

 

 伊藤計劃の短編集、「The Indifference Engine」(以下IEとも書く)を最近再読している。というのは、この短編集に収録されているストーリィがとても面白く、また、その面白さの種類が重なりつつも異なるものが感じられ、ぜひに考察して精読しようという気にさせてくれたからだ。万華鏡、あるいは三つの集合を表わすベン図を思い浮かべてほしい。光の三原色を示す図でもいい。

 さらに、最近自覚し、また気になっている事柄にも関係が深い感じがした。架空の世界、フィクションとの距離感と文体の問題、リアリティと感情移入のタイプ、などの問題群だ。

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映画「オデッセイ」を観てきた

 題名の通りだ。映画、「オデッセイ」を3DIMAXとやらで観てきた。3Dメガネはなかなか面白い装置だ。科学的好奇心が刺激される。あれはおそらく偏光グラスの一種だろう。右目と左目に入る光を選択的に遮断して左右に視差を作り、立体映像を見せる、のだろうな。むかし、赤と青の色眼鏡で見ると立体に見えるやつとかもあったなそういえば。ふふ、なつかしいな。

 ネタバレをするつもりはないのでこのままいくぞ。というか、この映画、ほとんど劇場の予告編でラストまで見えてしまうだろ。配慮すべきところがない。そういう楽しみ方をする映画ではなかろう。

 と思ったが、まぁ念のため閉じよう。何がネタバレに相当するかは書き手(わたし)には判然としない。

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1月に読んだ本まとめ

2016年1月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:305ページ
ナイス数:56ナイス

混物語 のみルール混物語 のみルール感想
伝説シリーズはまだ未読だったが、やはり、すさまじぃ販促となっているなこれは。映画も本も売れるぞ、これは。さすが西尾維新・・・その執筆スピードを生かした販売戦略、恐れ入る。魔法少女、たまらん響きだ。地濃鑿、イカレタ少女だ。俺はロリコンだ。買うぞ、伝説シリーズ。読むぞ、その<英雄譚>
読了日:1月25日 著者:西尾維新
光に舞う―新体道の歩みと思想 天と地をむすぶ体技の誕生光に舞う―新体道の歩みと思想 天と地をむすぶ体技の誕生感想
兄弟子からお借りした本。ゴシップ的興味で読んでみた。その興味は満たされたのでまぁいいや。とくに感想はなし。まぁすごい人なんだろうな、青木先生は
読了日:1月22日 著者:
混物語 じゅんビルド混物語 じゅんビルド感想
オーバーキルドレッド・・・規格外すぎるッ!!??
読了日:1月16日 著者:西尾維新
混物語 きょうこバランス混物語 きょうこバランス感想
阿良々木君は一回セクハラ関係で罰を受けとくべきw
読了日:1月8日 著者:西尾維新

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