Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

俺は出会い厨だ~リアル書店と紙の本への憧憬~

 「俺は出会い厨だ。出会いを求めて旅をしている。」

 というフレーズが、今日、仕事帰りに本屋で道草しているときに降りてきた。

 

 DIO様は若き神学校の生徒だったプッチに囁いた。

 「わたしは出会いを求めて旅をしている。君は引力を信じるか?出会いには意味があることを?」

 サイコパス槙島聖護(まきしましょうご)は言った。

 「紙の本で読みなよ。電子書籍は味気ない。」

 ハーモニーの御冷ミァハは語った。

 「文字は残るから。もしかしたら永遠に近いところまで。」

 「持久力という点では、本が一番頑丈よ。孤独の持久力。」

 

 通販や電子書籍が誕生した今なお、リアル書店と紙の本に価値を認められるとすればそれはいったい何だろうか?

 出会いだ、とわたしは思う。本屋に出かけなければ、今ここで立ち止まらなければおそらく生涯出会うことは無かったであろう書物。(誇大な主語で恐縮だが、)人間は偶然の出来事に意味づけをし、解釈を施す。すべてはただ起こるだけだ、相互の事物に関係などなく、すべてはただ起こりそして過ぎ去ってゆく。そこに意味を付着させるのは人間の抗いがたい執着というものだろう。だが、そんな悟りを真に実感する者は(そうそう)いないだろう。そして、その執着こそが、出合いに意味を見出す。引力を信じる力を与える。カオスの中から運命を掘り起こしてみせる。

 たまたま出会った本に生活を、人格を、行為を、感情を、揺るがされる経験。本屋に出かけるということはそんな出会いを求めるということだ。本の森のなかに、文字情報の深海へ、運命の出会いを探しに行く。

 

 本は好きですか、本屋は好きですか、読書は好きですか。

 わたしは大好きです。

 

 というわけで今夜金欠で買えなくて悔しかった本たち。いずれ買うと決めた。意志とは運命のことだ。運命とはわたしの意志のことだ。

 

 「理不尽な進化」

 「いきものとなまものの哲学」

 「神話論理Ⅰ

 「神話論理Ⅱ」

 「神話論理Ⅲ」

 「神話論理Ⅳ①」

 「神話論理Ⅳ②」

 「数学的経験の哲学」

 

 

たまにはこういうのもよかろう。