Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

映画「オデッセイ」を観てきた

 題名の通りだ。映画、「オデッセイ」を3DIMAXとやらで観てきた。3Dメガネはなかなか面白い装置だ。科学的好奇心が刺激される。あれはおそらく偏光グラスの一種だろう。右目と左目に入る光を選択的に遮断して左右に視差を作り、立体映像を見せる、のだろうな。むかし、赤と青の色眼鏡で見ると立体に見えるやつとかもあったなそういえば。ふふ、なつかしいな。

 ネタバレをするつもりはないのでこのままいくぞ。というか、この映画、ほとんど劇場の予告編でラストまで見えてしまうだろ。配慮すべきところがない。そういう楽しみ方をする映画ではなかろう。

 と思ったが、まぁ念のため閉じよう。何がネタバレに相当するかは書き手(わたし)には判然としない。

 

 簡単なあらすじ。

 火星。太陽系第四惑星、火星。NASA火星探査隊は予想外の嵐に見舞われる。強烈な突風は隊の帰還用機体をなぎ倒し機能停止に追い込むほどのポテンシャルを秘めていた。船長は迅速に任務の中止を決定、緊急に火星を離脱することにする。メンバー六人中五人は無事帰還用の機体に乗り込むが、主人公、マークだけが不運な事故により火星に一人取り残される。

 水なし、

 酸素ほとんどなし、

 食糧31日分、

 通信手段なし、

 次の救助まで、あと1400日、

 地球までの距離、

 225,300,000Km(におくにせんごひゃくさんじゅうまんきろ)。 

 

 傷物語を観まくったときに、さんざん観せられた予告からの引用だ。まったく、最後にこう付け加えたくなるほど事態は絶望的だな、すなわち、

 

 希望、なし

 

ってね。ま、そういう映画だ。サバイバルもの、でいいんだろうか。

 この映画の面白さは、極限状況での人間のふるまいだ。火星にひとり取り残されたマークのふるまいを楽しむ映画だ。つまり「根源的に面白い」映画ということだ。面白さの根源性は多様だ。人間の実存を抉り出したり、醜さを描いたり、恐怖を叩きつけたり、好奇心を刺激したり、勇気を、魅せてくれたりするものだ。

 いわゆる「人間を描いている」と評される面白さはすべてここに分類できるのではないか?そう、つまりこの映画は、繰り返しになるが、人間を描いている。マークを、そして彼の仲間たちを。この映画における勇気とは何か?それは私が観たところ二つあり、だが結局一つのものに集約されるだろう。それが何なのかは、劇場で確かめてくれ。観ればわかる。(一応最後に答えを書いておくが。無粋ながら。)

 ネタバレはしないといったが、少しその恐れがあることを述べようと思う。

 火星から仲間たちが飛び去った後、マークは目覚めてすぐ、最初の試練を経験する。

 突風によって吹き飛ばされ、マークを襲ったアンテナ、その金属片が彼の腹に突き刺さっていたのだ。酸素濃度は危険域、麻酔もなく、自力で傷を処置する羽目になったマークの、一連の奮闘が、わたしの涙腺をいきなり決壊させた。苦痛に歪む顔、だが、手先はあくまでも正確かつ適切に動き、傷口から破片を引き抜き、ステイプラで傷を閉じる(ジョジョ五部で観た光景だ)。痛みを和らげるためなのか、無意識なのか、彼は繰り返しフッフゥフッと小刻みに激しい呼吸をしていた(これもわたしには見覚えのあるなじみ深い光景だが。ロシアンマーシャルアーツ、システマの練習で)。なんか、だめなんだよな、痛みや苦痛に耐えながら何かを成し遂げる光景。泣く。「これは『根源的に面白い』ぞ!」と思った。(もっとも、こういうのは、なんか、危ない感性であることも確かだ。特攻とか神風とかを肯定しかねない。)

 極限状態における人間性の発露。これは、おもしろい。なるほどと思った。なるほど、これも「根源的面白さ」だ。

 

 オデッセイ、面白いぞ、根源的に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

補遺。

 この映画における勇気とは、科学の知恵とそしてユーモアだ。つまるところふたつとも、知性のことである。知性こそ勇気也。