Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

ジャンプの話する

 やぁ、わたしだ。久しぶりにジャンプの話をするよ。

 

 今週のジャンプ、面白かった~。

 ハンターハンターとワンピースとロボレーザービームと火ノ丸相撲とヒーローアカデミアが面白かった。

 

 ただ、ヒーローアカデミアが心配だ。面白すぎて心配だ。面白いならいいじゃないかって?違うんだ、わたしにとって面白すぎるから、心配なんだ。わたしのツボに強く入り始めた。これが何を意味するか。直近では左門君の時のような心配が出てきた。

 

 そう、打ち切りの心配だ。わたしが面白い面白いと騒ぎだすと、そのマンガは、しばしば、そうしばしば!打ち切られるのだ!古くは、

るろうに剣心(あれは打ち切りとは言えないかもしれないが、人誅編の評価は人によってかなり分かれると聞く。その人誅編こそわたしが待ち望んだ、あるべきるろ剣の姿だった。もっとも面白い、ツボにはまるるろ剣だった)、

シャーマンキングシャーマンキングを面白いと思い始めたのはムー大陸からだ。その後、体感的には即刻打ち切られた)、

武装錬金(のちにアニメ化される作品がなぜに打ち切り!?)、

少し時代が下って、無刀ブラック、(連載開始第一話からめちゃめちゃ注目していたが、十週打ち切りを食らった。)

ウルトラバトルサテライト(今一番わたしが読みたいマンガだったのだが・・・ちと雑だったのかもしれん)、

そして左門君、だ。

 

 わたしの趣味ど真ん中は、メジャーにならないようだ。かつてわたしはここで、このブログで、ヒーローアカデミアはとても面白いが、完全にわたしの趣味ど真ん中というわけではない、と書いた。だが、それは訂正されるべき時が来た、来てしまったようだ。ヒーローアカデミアは俺のツボをことごとく押す!ステイン以来ずっとだ!!オールフォーワン、死柄木弔、トゥワイス、トガちゃん、死依八齋會、おもしろい、こいつら全員、おもしれぇ!いいのか!?悪役ばかりスポットを当ててしまって!?魅力的に描いてしまって!?スカッとぶっ倒せるようにできんのか!?

 

 心配だよ、俺は。俺の毎週の楽しみが長く続くかどうか、心配だ。

 

 少し熱くなってしまったようだ。いや、きっと大丈夫だ。わたしの心配は杞憂に終わる。アニメ化もしたし、ゲームとかもあるし、ジャンプで今一番勢いがあるマンガといっても問題ないだろう。わたしのツボを多少押さえつつも、王道、メジャー路線でガッツリ人気を維持してほしいと思う。その力は絶対にあるはずだ。

 

 

 

 

 火ノ丸相撲はてっきりもう連載終了の流れかと思っていた。あれほどの盛り上がりはもう想像できない。頂上決戦はもう済んだ、かに見える。

 だが、まだプロ編が始まる流れ、なのだろうか?まだまだ火ノ丸相撲が読めるのは喜ばしいことだ。

 

 

おわり。

最近のFGOの話

 お久しぶりです、わたしです、立てばデミヤ、座ればオジマン、歩く姿は佐々木小次郎、でおなじみ、門倉亜人です。

 

・・・すみませんでした。調子に乗りました。

 

 でもFGOを始めた家族にはデミヤとちょっと似てるねと言われました。(顔のことではありません、念のため)ほかに自分では巌窟王にも似たものを感じてはいます。

 機嫌が悪いときはデミヤに似ていて、躁状態のときは巌窟王に、普通に機嫌がいいときはオジマン、とてもさわやかな気分の時は小次郎に似ていると自分では思います。

 

 どうでもよい。

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人間の素晴らしさについて

 人工知能の進歩などによって、近年、人間固有の価値とは何か、人間の素晴らしさとはなにかが問われている。いや、それは昔から問われているか。それを問うことそのものが人間の価値の一つなのだろう。

 

 さっき思いついたその一つの答えをここに記す。それなりの良さを感じたからだ。

 

 「人間の固有の価値、意義、能力とは、虚構をそれと知りながら信じることができる能力のことだ。」

 

 この世に神はいない。宇宙を創りたもう造物主については知らんが、人間が祈るに足る、救いの神はいない。これは真実といっていいと思う。

 この世にヒーローはいない。英雄はいない。愛も正義もない。常識だろう?

 

 だが、わたしはそれを知識として、常識として知りながら、知ったうえで、それを信じることができる。信じていなければできない行為を重ねる。信じていることを前提にして生きる。信じているとみなされるようにふるまう。断固として。

 わたしを救う神はいない。だが、わたしは神を信じる。ヒーローはいない。この世に救いも正義も愛も存在しない。

 だが、わたしはそれを信じて行為する。あり得ないものをあるものとして、それの存在を自明の前提として行為する。

 そうする理由はもろもろあるが、ここでは述べない。その理由すら虚構だから。

 だが、ヒントは残そう、「行為が先、物語は後、だ」それが理由だ。

 意識とは後付けの物語だ。物語とは虚構だ。だが、それはある。ないものがある。それが生きるということ、ではないか?

 

 よくわからなければ貨幣のことを考えろ。サンタクロースでもよい。どちらでも同じことだ。わかりやすい方で考えろ。

 

 

 わかりにくく、また役にも立たない話ですまない。おわり。

 

一度書いた文章が消えた時

 書いた文章が手違いか仕様か何かで消えちまった時、それなりにイラっとするわけだが。とくにドヤ顔でターンッみたいなノリで打ち込んだ時に消えると脳が揺れる、瞋恚(しんい)によって。

おもわず

 

俺のドヤ顔を返してくれ、

 

とつぶやいた。「ドヤ顔を返してくれ」、すごく、俺らしい言い回しだと思い感動した。俺の苛立ちを独創的に表現できたぜぇ~っみたいな満足感が得られたので諸々事なきを得た。

 

 

おわり。

殴り書き

 はじめに物語ありき。何かに意味を見出すという行為は物語を語るということに等しい。存在を条件によって定義づけるという発想がそもそも愚かだったのではあるまいか。

 数年前、少なくともこのブログ開設当時にはすでにこの発想には至っていたはず。徹底が足りない。徹頭徹尾、万物万象、この立場から語り直されなければならない。

 真理は明確に言葉で語りえず、ただ物語ることによって示されるのだ。

メモ───ヒーローの分類

 いろいろ(言葉だけ)思いついた。いつかひとつの体系、考察として芽吹くことを願って。(いくつかのルビと漢字を更新 2017/07/02)

 

ヒーローの分類。

象徴カリスマ

ex.スーパーマンキャプテン・アメリカオールマイト空条承太郎

 

咎人スティグマ

ex.緋村剣心バットマン

 

堕天ダークネス

ex.エミヤオルタ

 

純化アンチ

ex.ステイン、斎藤一

 

無名ネイバー

ex.忍野メメ

 

そして

救世主メシア

ex.鹿目まどか

 

 

 

 

 

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