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Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

ジャンプ20号の感想+α

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない 唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら歩め。

ニーチェ「反時代的考察」より 

 

 おはよう、好きな肉料理はステーキだ。門倉亜人だ。

月曜日であるな。そう、ジャンプの感想だ。今回からネタバレに少しだけ留意して隠す。あまり意味があるのかはわからないが、試行錯誤は大切だろう。

 

 さて、ジャンプの感想といこう。まずはわたしには珍しくジャンプの看板たるこの作品に言及する。

 

  • ワンピース

 正直、面食らった。前回のギャグとしか思えないサンジの演技力(偽)には意味があったのだ。悪女の目にも涙、だと・・・わたしは不覚にも取り乱したことをここに記しておこう。「面白い」という言葉には多くの含意があるが、疑いえないその一つは「感情的体験をした」ということだろう。抽象的で申し訳ないが、あのプリンとかいう女の涙に対して、わたしは「感情的体験」を覚えた。つまり今週のワンピースは面白かったのだ。来週からはおそらく戦闘にはいるだろう、楽しみだ。とくにカタクリの活躍に期待する。

 

  • 左門君は召喚士

 わたしの癖なのだろうが、キャラ偏重の読みをする。左門君はキャラが良い。とくに悪魔サイドのキャラが良い。ルキフグス、ネビロスをはじめとした六柱にマステマ、そして、

 ベルゼビュート

だ。(ちなみに人間サイドで好きなキャラはてっしーと盛り塩だ。)

見た目どう見てもチンピラでありながらその実、まさしく王。偉大にして尊大、暴王にして嵐の王。六柱が仕えるにふさわしき智と力となによりカリスマを持つ。このキャラクターはわたしのこれまでのベルゼブブ(ベルゼビュート)観を打ち破った。蠅の王とかクソ山の王とかの蔑称は全く当たらぬ。

 その王と主人公、左門召介の戦いが始まった。ここでひとことわたしは謝まらねばならない。誰あろう左門召介にたいして詫びねばならない。彼を侮っていたことを。わたしは自らの力ではなく、召喚した悪魔を使役して戦う召喚士(サモナー)を内心見下していた。我れが尊ぶは武なり。すなわち個の力。個人として、個体として動物としての人間の力をこそわたしは欲し、崇め、称揚する。他力本願の腰抜けに用はない。だが、左門召介に関してはその侮り、改めたい。左門召介のその力、それはまさに智。練り上げられた技と知恵、戦略、覚悟、度胸。

 智は力なり。それを地で行く工夫、それらを可能とする才能、練磨の数々。魅せられた。今回魅せてくれた技と札(カード)、実にしびれた。すまなかった。爆発反応装甲もそうだが、下級霊を全く新しい発想と精緻極まる技術によってこのクラスとの戦いにおける有効札へ変えてしまう技、素晴らしい。智と技こそが力に匹敵しうる人間の力だ。それこそ武と呼ぶにふさわしい。

 王と左門の戦いは実に面白い。蹂躙につぐ蹂躙、暴虐につぐ暴虐、それを知恵と工夫と度胸でかわす左門。それに一定の関心と敬意を示しつつも即座に踏みつぶす王。なかなか見ごたえがあった。

 そして最後の切り札を切る左門。だが暴王に慢心なし。万策尽きた左門。

 否、札(カード)はあと一枚あった。正直全く予想だにしていなかったぞ、その切り札は。そのカードが切れるなら、此度の戦いは根底からひっくり返る。まさか、囚われの姫ポジが最後のカードとは・・・いや、恐れ入った。

 そうだ、帰ってきたぜ、

悪神(アンリマユ)!!

HAHAHAHAHAHA!!やってくれるぜ左門召介!!さぁ魅せてくれ、この世すべての悪&召喚士VS暴虐の嵐の王の戦いを!!盛り上がってきたぜ!!楽しいだろう!?ベルゼビュート!?待ちわびたろう?ベルゼビュート!?貴様が望んだ敵がここにいるぞ!!

マステマのことを忘れそうだ。

 

 帰ってきたぜ、マイフェイバリット高杉!!!

 

  • ハイキュー

 「面白い」の一つは「感情的体験をすること」といった。戦慄はまさに感情的体験といえる。ハイキューはゾクッとする演出が多いな。それがこのマンガの、いや、スポーツの醍醐味なのだろうか。スピード感。そう、スピード感がある。快、感。

 

 ついにそばの実食だ!紀ノ國寧々に勝ってほしい!そば!そば!九割そばに桜エビのかき揚げを添えて!!食いたい!くいたいぞぉ!このそばすすりたいぞぉ!!

 

 レッドライオットにライトスタッフあり!!彼のそれは信念ではない、狂気ではない、また意地ではない。理想でもない、単なるあこがれだけでもない。

 彼の正しき資質、それは仁義なり。素朴だが、良い資質を持っている。それが遅ればせながら今回わたしの中で確実なものになった。祝福だ!

 思い出そう。このマンガのタイトルは「僕の」ではない、「僕ら」のヒーローアカデミアだ。

 そしていよいよ話は本題、本筋へ。敵(ヴィラン)連合はどうでる、死依八齋會は?ヒーローたちの合同作戦とは。クスリとか人体改造的なものもあってますますキナ臭くなる情勢。実に続きが楽しみだ。

(4/23追記)

 このマンガのタイトルは「僕の」だった。すまない。理想と現実の区別があいまいになっていたようだ。願わくは本質的に「僕らの」アカデミアでもあらんことを。

 

 わたしはまず謝らなければならない。五條くんに。(今週は謝ってばかりか、俺は)

 わたしは不良の更生物語みたいなのが嫌いだ、嫌いだ、大っ嫌いだ。ヤンキーが嫌いだ。学ランの着こなしが嫌いだ。リーゼントとかのヘアスタイルが嫌いだ。髪を染めるやつも嫌いだ。タバコには憎しみさえ覚える。

 当然、五條くんも嫌いだ。それはいまでも変わらん。だが、今後は分からなくなった。

 楽しむがいい、相撲を。笑え、笑って相撲を取れ。

そして勝て!負けて得るものもある、良い勝負をすれば、内容が良ければ負けても楽しい、人は敗北からこそ学ぶことができる、それらはいずれも真実だ。

 だが、勝て!!今回ばかりは勝て!!勝って!笑え!勝てばもっと楽しい!!はずだ!!

 

 二刀やらんのかい!!

 

  • FGOのはなし?

 FGOのはなしというか、その攻略ブログの話をちょっとだけする。ここ最近珍しく感動したイベントなので。

 「面白さ」というものの正体というかその本質あるいは本質とおぼしきモノたちの構造をわたしはいまださっぱりつかめていないが、最近分かったことの一つは、文体というものは磨けばそれだけで一つの世界、面白さとなるということだ。文体がとてもとがっているFGO攻略ブログをここに紹介したい。

kantake.hatenablog.com

 これである。

「攻略ブログというものは必要な情報が詰まっているだけで十分、そう思っていた時期が俺にもありました。」

だが、面白いに越したことはないのだ。このブログ、いやブロゴは面白い。逆噴射文体と呼ばれるもので記述されている、らしい。その文体はここがオリジナルではなく、そのフォロアーらしいのだが、とにかく面白い。「メキシコ」、「腰抜け」、「バンデラス」、「ハラペーニョ」、わたしも意味が良くわからない単語がおおくあるが、まぁなんとなく言っていることの大体はFGOユーザーならわかるだろう。あまりにも面白かったのでさかのぼってすべてのFGO攻略記事を読んでしまった。このブログはほかのあるFGOの攻略ブログを読んで書き始められたことが記事に明記されていた。とんがった文体とFGOというコンテンツが衝突して生まれた稀有な面白さだ。この出会いは奇跡だ。

 その後さらに大本の「逆噴射総一郎」なる人物もググってそのコラムを読んだ。面白い。人を選ぶ癖の強い文体とは思うが、わたしは面白かった。今日のこのブログもその文体で書きたくなったくらいだ。わたしには手におえそうもなかったのでやめたが。

 もう一つFGOのブログを紹介したい。わたしはFGOにおいては剣士キャラがあまりいなかったということもあって☆1の佐々木小次郎をメインに使っていた。しかしレア度が最低のこの剣士はとにかく脆い。全キャラ中ワースト一位のHPを誇る。正直メインを張るような性能はない。わたしの運用の稚拙さもあいまって小次郎にはわたしが剣士に対して期待するほどの活躍をさせることがなかなかかなわなかった。しかし日本刀キャラをそれも鎧を着こまない平服のキャラをなんとか活躍させたかった。沖田は持っていなかった。そんなときある動画サイトで小次郎が大活躍するFGOの動画を観た。界隈では「小次郎の人」とかタグが付いていて、わたしはその人を師とすることに決めた。その動画群は小次郎の剣が仲間の援護によってすさまじい切れ味を魅せていた。数々の強敵を小次郎で打ち倒す姿は圧巻であった。

 上に述べたあるブログというのが、その「小次郎の人」のブログだった。

これだ。

blog.livedoor.jp

このサムネで気づいたかもしれないが、この記事も今回だけではあるが、「逆噴射文体」でかかれている。「小次郎の人」が、先述のブログに衝撃を受けたからだそうだ。

 わたしはこれらのキセキに感極まった。「小次郎の人」のブログに影響を受けて「逆噴射文体のFGOブログ」が書かれた。さらにそれを「小次郎の人」が読んで今回の記事を書いた。面白さのループ。奇跡を感じないか。わたしは感じた。

 ちなみに、おおもとの逆噴射総一郎はFGOとは関係ない(たぶん)。そちらも面白い。興味があればそちらもググってみることを薦める。

 

 わたしは今回の件で文体、文章のスタイルというものの重み、面白みを過小評価していたことに思い至った。文体だけでもう面白い、という領域には至れずとも、誰が書いた文なのかすぐにわかる、ぐらいの個性いや、「身体性」は獲得していきたいものだ。

 

 ぐだぐだ明治維新はまだ終わっていない。織田ポイントが後10万ほど・・・

 

予定執筆時間を一時間も過ぎてしまっているのでこの辺で〆たい。

 

  • 最後にメモ

 次はもしかしたら、一次創作、二次創作という言葉の使い方についてと、享受者の人称?概念について絡めて書くかもしれない。かもしれないはかもしれないなのだ。書かないかもしれないのだ。

 

おわり。