Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

いつものメモ───愛と塩

おいしくつくろうという情熱

───魔神探偵脳噛ネウロより

  ドーピングコンソメスープのレシピ、最後の一項目

 

 どうも、好きなラーメンは豚骨醤油、門倉亜人です。

 というわけで思いついたことをちょことメモする。

 

 料理の良さとは何か、良い料理とはなにか。言うまでもなく、それは「おいしさ」である。おいしい料理こそが良い料理であり、まずい料理は悪い料理だ。

 おいしいけど健康に悪い、別にうまくはないがダイエットに良い、そういう良さもある、という話をしたいのではない。

 誰と食べるか、あるいはだれが作ったか、という要素も時にはおいしさ以上に大事だ。家庭の味とか、隠し味は愛とか、そういう話だ。この二つの評価軸の対立をやや趣味的にこう呼ぶとしよう。

 「愛と塩」の対立、と。

 これは比喩でありたとえ話であり話の本筋ではない。この構造は様々なところで見られるに違いない。過去のこのブログを読んでいる読者諸賢はすでにお気づきと思うが、漫画とかフィクションの話だ。良い物語、よい創作とは?マンガの良さとは?エンターテインメントの評価基準はもちろん、「面白さ」だ。面白いマンガこそが、よいマンガだ。

 だが、それだけでよいのだろうか。そして、面白さ以外のマンガの「良さ」とは?それに名前を付けることが今までできずにいた。

 いま、まさに今わかった。これを書いている今、わかった。この名状しがたき対立を扱うためにまず名付けたいという衝動がこの一連の文字列を生んだのだ。自分でもなぜ急にこんな話をしだしたのか、料理の話を書き始めたのか判然としなかったが、今!自分で書いていて分かった。面白さに対立する概念にラベルづけることができなかったゆえに「愛と塩」という比喩をひねり出したのだ。我ながら卓抜である。

 ふたたびいま思い至ることだが、面白さと別のこの名付けえぬ価値とは、「根源性」にかかわる何ものかであろう。その根源性ゆえにまた語りにくく、名付けえなかったに違いない。

 今後はこの話を「愛と塩問題」と呼ぶ。

 だが注意せよ。愛情たっぷりの料理がうまいに越したことはない。いや、親の飯はうまい方が良いに決まっているのだ。愛に対するこの、塩の優位性!を忘れるな。

 

 このメモは少なくともわたしにとっては面白い。よい時を使った。

 

では、また。