Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

今週のジャンプの感想

 ハローハロー、わたし、カドクラ、カドクラアァトです。沖田が出ません。沖田が出ません。沖田が出ません。それ以前に新規サーバントがめっきり引けません。それでもめげずにくじけずに行こうな!フレンズに借りればいいんだよ!持ってるサーバントはそれぞれ違うから!

 

 

 今週の方のジャンプの感想をば。うちは平然とネタバレするよ。

 

 左門君。回想は意外とあっさり終わりました。ネビロス少将がメインの回想でしたねぇ。左門君の方の事情は不明のまま。いいからそれよりマステマを映すんだよぉ!!

 

 火ノ丸相撲。熱すぎません?ラストの見開きのコマめっちゃ熱かったし、その前の投げの見開きコマもくっそ熱かった。震えましたよ。コミックス買って勉強したい。

 

 食戟のソーマ。あぁ、そばが食いたい。個人的には十割そばのが好きですが、寧々さまのそばはすごく食べてみたい。芸事に熱心なロリ寧々さま可愛すぎる。かわいい。

 そばの捏ねの繊細さというか職人技に感動する。配合さえ合ってりゃぁ、混ぜりゃぁ同じだ、混ぜ方に上下の別なんぞありゃぁしねぇと昔なら思っていたであろう。ちがう、ちがうのだ。種々の経験により実感されるちがい。混ぜ方には上下があり、過程の違いは質の違いへ直結するのだ。いまならそれがわかる。納豆やメレンゲをただ混ぜるだけでも上下があると知っている今ならば。泡の肌理は混ぜ方に依存する。舌ざわりなどの質はその肌理に依存する。そばもおなじだと、想像できる。

 積み上げた時間、歴史の重みにはそうそう勝てない、というテーゼは賛意を表したい。くだらない趣味や金にならない学問に半生を費やした身としても。できることならそれらを役に立たせたいものではあるが。いや、役に立たないというのはまちがい。他人の役には立たなかったが、わたしの役には立った。わたしが絶望の底でもなお生きてこられるだけの何かを得た。

 ちがうわ、ソーマの話だわ。奇策で挑むには十傑は分が悪い。しかし、積み上げた歴史ならこっちにもある。この流れは良いと思う。でもそばがうまそうだなぁ。そばが勝ちそうだなぁ。寧々さまの負けるところは見たくねぇなぁ。

 あぁ、うまいそばが食いてぇ。

 

 ワンピース。ジンベェのオジキかっけぇ。

 

 僕のヒーローアカデミア。うららかちゃんがインターンしとる!かわいい!くて強い!コンビ技とは考えたな!ねじれちゃんが強い!あと壁にはなしかける先輩のヒーロー名がかっこいい!サンイーター!どういうことだ!光を呑むのか!?はやく活躍してくれぇええ!

 サー・ナイトアイのヒーロー観は間違っている。

 オールマイトの象徴論はまちがっている。

 ヒーローに求められるのはユーモアではない。人の上に立つ者の資質、ではない。

 ヒーローに必要なものは象徴性ではない。超人といえど個人に過ぎない。その射程距離はたとえオールマイトといえどもたかが知れている。そしてやはり彼には限界が来た。平和とは一人の力で支えられるものでも、そうすべきものでもない。

 ステインのヒーロー観は間違いではない。紛い物のヒーローには退場して頂きたく候。しかし、排除だけで平和は築けない。ステインのヒーロー観は間違っていないが、彼の在り方はすべて間違っている。個人的にはとても共感する生き方ではあるにせよ。

 ヒーローに求められるものを述べよう。それは普遍性だ。人間が十人いれば五人がヒーロー。そのぐらいが望ましい。むしろ、人間であるとはヒーローであること、であってほしい。

 緑谷出久はもしヒーローになったならば、おそらく「みなに支えられるヒーロー、みなが支えたくなるヒーロー」になるだろう。ヒーローがヒーローを生む構図が生まれる。人はヒーローに頼るのではなく、彼を支えようと、自らヒーローにならんとするだろう。ヒーローはどこにでもいる。ヒーローがヒーローを生む。その時、ようやくあるべきヒーロー社会が誕生するだろう。ヒーローとは職業ではない、生き方なのだから。

 せっかくの超人社会だ。皆人ヒーローたらんとすべし。願わくは我々もまた。

 

マンガの感想からはだいぶ離れてしまったかもしれない。まぁいいか。あぁ来週もジャンプが楽しみだ。

 

以上。