Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

ハーモニープログラムに対する所感

劇場版ハーモニーまたは原作小説のネタバレになる。

 ハーモニーには「ハーモニープログラム」なる人類補完計画的なシステムというか装置というか、が出てくる。

簡単に言うと、人間が完全に公共的で社会的に正しい選択しかとらなくなるようにする脳をいじるプログラムだ。人間の意志を制御するという目的で作られた。しかし、これには重大な副作用があって、すべてが自明に選択される故に、意識が消失する。要するにフィロソフィカルゾンビになってしまうのだ。その辺の理論展開は是非原作小説で読んでほしいものだが。あまりにもよくできたロジックで、これはSFではなくマジの現実なのではないかと思うほどだ。「もし、すべてが自明になったなら、人間の意識は消滅する。」そんなことを可能にする技術やプログラムが作れるかどうかは別として、「」でくくった部分は科学的に正しいのではないかとさえ思ってしまう。いや、すでにわたしはこれを事実と見なして生きている。(わたしのようなやつを現実とフィクションの違いが分からないやつというのだろう。)

で、このハーモニープログラムの副作用をむしろ主作用、人類を救う究極の一手と考えたキャラがいるわけで、意識がなければ苦しみもない、そもそも苦しむ主体が居なくなるのだから。すばらしい新世界が誕生する、と。ハーモニープログラムを肯定するんだな。これを開発した当人は、これを否定するけども。

どう思いますか。

いろんな人の感想をみるに、ハーモニープログラムを肯定している人は観測できてないんだけど。たぶん原作者の伊藤計劃自身もこれは肯定していない。

はい、この記事のメイン主題。

 

わたしはこれを部分的に肯定する。

 

部分的にというのは、「人間は意識であることをやめた方がいい」という点に関して肯定。正確には、人間は意識を自由に着脱できるようになるべき、という意見。解脱ってそういうことじゃないのかなぁ。あるいはゾーンとか、無我の境地とか、無想剣とか。意識がないフィロソフィカルゾンビのパフォーマンスはきっと高いし、そこには苦しみも悩みもない。ヒーローアカデミアの主人公、緑谷出久は考えるより先に体が動いて英雄的行為に及ぶタイプで、ヒーローってのはこういうことだと思うわけで。それは意識であることをやめてるといえるでしょ。無意識の行為そのものは全く否定されるべきではないし、むしろ積極的に目指すべき境地だと私は思う。

否定したいのは二つ。他人の手によってそれがなされることへの拒否感と自在に着脱できないところは良くないね。人間は意識であったりそうでなかったりすることができる。それが目指されるべき。ハーモニープログラムは一人で満たされるべきで、一人で到達すべき悟りの境地だ。みんなでせーのでに勝手に悟るなんてダメ。悟りたい奴だけ悟ればいい。

 

だから、ハーモニープログラムは惜しかった。

わたしはその先へ行くよ。