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Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

御冷ミァハとわたし、あるいは善と正義について

最近わたしがめっぽうはまっている「ハーモニー」に登場する御冷ミァハは(「はまっている」はハーモニーにかかるのか、ミァハにかかるのかな、どちらかな)、こんな言葉を放つ。

 

 善ってなんだと思う。

困っている人を助ける、とか仲良くする、とか、傷つけないようにする、とかそういうことじゃないよ。確かにそれもあるんだけど、そういうのはあくまで「善」の細かいディテール。良いこと、善、っていうのは、突き詰めれば「ある何かの価値観を持続させる」ための意志なんだよ。

そう、持続。家族が続くこと、幸せが続くこと、平和が続くこと。内容は何でもいいんだ。人々が信じている何事かがこれからも続いていくようにすること、その何かを信じること、それが「善」の本質なんだ。

 わたしはこの言葉を聞いたとき、幾許の驚きと喜びを覚えた。わたしが考える「正義(ヒーロー)の勝利条件」とよく似た考え方だったからだ。まぁミァハの方が思考の射程がわたしより深いが。おぉ、わたしの知性も馬鹿にしたものではない、ミァハとその次元を同じくしているではないか。なんと喜ばしいことだ。そう思った。(もっとも、この後ミァハは善を、善に満たされ支配された世界を否定して見せるわけだが)

ミァハの話はここまでだ。わたしの話をしよう。

 

「正義は勝つ。」

 

この言葉に虚しさを覚えたことのないものはいるだろうか。いないものと信じるが。わたしはこの言葉が虚しいものであることに耐えられなかった。赦し難い、どうにかしなければならない一大事であった。正義が勝つのは常におとぎ話の中だけだ。赦せない。そんな世界は許さない。耐え難い。そう思った私は様々な方法を探した。絶対の勝利のためにできることは何だ。正義が必ず勝つために必要なこととは?

そうして順当に考えざるを得ない事柄、問わずに済ませられない問いを問うことになった。すなわち、

「正義にとって勝利とは何か?」

悪人の殲滅か?人類恒久平和の実現か?個々の事件の解決か?その場限りの戦闘の勝利か?どのような条件が満たされれば正義が勝ったといえる?

悪人の殲滅か?

ノー。それは人類の殲滅とほとんど同義である。とても魅力的な方法だが、本末転倒である。どちらがが悪だかわからなくなる。勝利条件どころか存在条件を満たさなくなるだろう。

人類恒久平和の実現か?

ノー。闘争は人間の本質也。わたしは人類が人間をやめることを望まない。加えて、一挙に多数を救おうとするものは必ず過程において悪行を行うだろう。

個々の事件の解決か?その場限りの戦闘の勝利か?

ノー。それらは偶然の要素を排除できない。絶対の勝利など望むべくもない。

 

「正義は勝つ」

 

この言葉を常に真なる命題とするために、何をすればよいのか。絶対の力を、最強の力を手にすればよいのか?無敵の頭脳を求めればよいのか?つねに偶然の敗北に脅かされねばならんのか?否、断じて否。

悪人にとっての勝利とは何か?個々の目的や欲望の達成、あるいは正義の殺害であろう。それらは時として達成される。達成されうる。それは正義の敗北を意味するのか?

 

否。

 

死は敗北ではない。悪が勝利しようとも正義は勝つ。何故か?悪と正義とではその勝利条件が違うのだ。それしかない。「勝利」の意味を書き換えること、「勝利」概念の改鋳、例え負けても「勝つ」。それが必要だ。もうわかるだろう、わたしがたどり着いた答えが。そう、ミァハと同じだ。

「正義の勝利条件とは、それが持続すること、すなわち後継者を持つことである」

例え負けても、たとえ死のうとも、その意志が死ななければ敗北ではなく、それどころか勝利である。ヒーローに必要なものは後継者である。絶対の勝利のために必要なものは後継者だ。正義を受け取り、次に繋いだもの、それこそが勝者である。

 

「正義は終わらない。正義は止まらない。正義は継承される。」

「正義は、勝つ」

 

完成だ。ミァハは善を語り、わたしは正義を、その勝利条件を語る。

 

 

 

 

 

 

 

余談その1。ゆえに、「ヒーローアカデミア」は正しい。ヒーローの在り方として、ワンフォーオールは正しい。「個性を譲渡する能力」!!これほど正義にふさわしい力はほとんどないといえるだろう。勝つべくして勝つ、そのための能力だ。絶対勝利が実現している。

 

 

余談その2。「正義とは何か」についてわたしは語らない。「語りえぬものについては沈黙しなければならない」

 

 

余談その3。高度に洗練された剣術もまた限りなく正義に近い。それは「勝つべくして勝つ」境地を志向するゆえに。