Blut unt Weiß

伊藤計劃に感化された一連の文章の群れ。日記、少年マンガを中心とするオタク趣味の感想および世界を変えるための文章が置かれる。御口に合いますれば幸い

さっそく書いてみよう

面白さとは何だろうか?マンガばかり読んでいる私の人生にとってこれはかなり重要な命題だ。しかし、いまだに答えは見えてこない。最近の暫定的なとっかかりである、分類だけでもここに記そう。そのためにブログ始めたという意味もあることだし。

 

面白さには三つの階層がある。第一の階層は「視聴覚的な面白さ」の階層だ。絵が綺麗とか、音楽がいいとか、構図がいいとかそういうの。キャラクターの容姿が好みとかもここでいい。脊髄反射的ともいえるかも。面白さの暴力、・・・いま思いついたから追記してみた

 

第二の階層は「物語的な面白さ」だ。伏線が明かされたり、キャラクターの心情、思想が描写されたりするレヴェルのことだ。荒木飛呂彦的に言うとサスペンスだ。エンターテインメントはサスペンスだ。ストーリーの面白さがここに入るのは良いとして、キャラクターの感情、思想まで「物語的」と形容することには少し説明が必要と思う。メモ程度だが、ひとこと述べるに、

「人間の人格とは、一つの物語である」

という立場に起因する。「私」とは一つの物語であり、時間的に連続する事象の因果的つながり、現象の名称である。人格を一つの虚構と見なす。人間と述べているので当然キャラクターだけに限らない。

この話長くなりそう。整理もあまりついているわけではないしまた今度。(あるいは放置)

 

最後の階層、「根源的な面白さ」。これは謎だ。エニグマだ。第一と第二の階層に収まらない得体のしれない面白さはすべてここに分類する。人の何かを揺さぶる面白さ。恐怖、欲望、衝動を喚起する何か。エヴァの暴走シーンとかにこんな感じの面白さを私は感じる。もっとも重要で解明する必要があるのはこの階層だ。そしてここを作るための理論が必要だ。感動、とはこのレヴェルのことだろう。人は、いや、私は何に感動するのか?そのメカニズムを解明したい。

 

実際の「面白さ」は三つの階層がいろいろ入り混じっていることだろう。今感じているのはこの階層の面白さだ、と切り取れるケースのほうが少ないとさえ思う。

とにかく、ここを手掛かりに考察を進めていきたいものだ。