メモというか
リアリティという感情について。人間の、人類の抱えるほぼ100%の問題は、この感情、感覚に対する誤認、誤解によるものではないだろうかという気がしてくる。
まず、大問題であるのが、リアリティは感情であって理性的判断ではないということだ。情報として「事実、現実である」性が付与されてもそれはリアリティの構築の主因たりえないのではないか。情報としての現実性は、実感としての現実性を必ずしも立ち上げることができない。それはリアリティ、実在感が感情だからであろう。感情は体験によって励起される、知得によってではなく。
しかし、それらはデジタルに、離散的に、白と黒とに切り分けることができない。歴史に何の感情も抱かない人間もいれば、年表を眺めるだけでわくわくする者もいる。情報を体験できるものがいる。歴史を学んで差別主義者になるものもいる。歴史を学んで未来につなげようとする者もいるだろう。ニュースを観て何も感じないものもいれば真に憤るものもいるだろう。何がリアルか、何が感情を励起させうる体験になるのかが各々異なるからだ。リアルと虚構の領域が一つ一つの脳内で独立に形成されているからだ。
どこから話を始めればいいのか。ただ、ずっといっていることは、根源的区別不可能性の認知と対処を唱えているのだろう、きっと。かつて誰かが唱えたことと同じことをわたしは違う形で言っているのではないかという気がしてくる。
真理などないといっているのではない。真理と虚構の区別はあいまいだと言っている、のでも、実はない。
うまくいえない。何も言えない。ただ義憤にかられて叫びだしたい衝動だけがある。哲学をしたいわけでもない。こんなものは哲学ではない、ただの現実だ。
脳。政治。虚構。意識。自然科学。経済。嫉妬。表現。すべてが同じ困難に見える。なにもまとまらない。何も浮き彫りにならない。
終わりだ。
いつかの妄想の続き(というメモ)
書くだけ書いて、更新の意志がない物たちを供養しておこうと思ったので、連続で過去に書いたものを投稿する。ほぼすべて未完成のままだ。 以下の文の最終更新は2017年5月22日、とある。
我々はどこからきてどこへ行くのか
───???
「人間とはなんだ?」
この先はただの引きこもりの戯言じゃ。
続きを読むFGO 疑似実況vs快楽天
諸法無我など猿の戯言、
火宅とは蹂躙するもの、あふれ出る六欲に溺れましょうや
───殺生院キアラ
どうも、好きな将棋の駒はやっぱ龍王、門倉亜人っす。
前回の予告通り、キアラ戦を実況風にお送りします。めっちゃ長いうえに画像ばっかりで見ずらいことこの上なし。録画できてたのでとりあえずやってみました。メンバーはこんな感じ。
やりたかったポイントは「サポートのメルトリリスとアンデルセンを連れて行く」こと。本当はそれで勝ち切りたかったんですが、無理だったので常連の武蔵と困ったときの切り札、絆ヘラクレスです。ジャックちゃんはメルト狙いで代わりに引けたのでついてきてもらいました。が、レヴェルがやはり足りなかったのか、あまり活躍できず。だめなマスター(おかぁさん)でごめん。礼装はとにかく宝具を撃つことを重視。カレイドもう一枚くらいあればなぁ。マスター礼装は初期のやつ。ほんとはガッツとバスターバフのやつが良かったのですが、持ってない。長いのでいったんここで閉じまする。興味のない方はここでやめちゃってくださいね。
続きを読むジャンプ23号の感想+α
幸福な人の世界は不幸な人の世界とは別の世界である
───ウィトゲンシュタイン
どうも、好きなアルターエゴは、パ、いや、メル、あぁ!決められねえよ!門倉亜人です。
毎週恒例、一日遅れましたがジャンプの感想その他です。
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